堀口コラム 閑話

2022年6月13日 更新

流行語としてのエビデンス

 「この見事に咲いた遠山桜、忘れたとは言わせねえぜ」 遠山の金さんの名場面です。わからない方のために少し説明すると、江戸町奉行である遠山金四郎は、町人の格好をして「遊び人の金さん」として知られた存在です。「金さん」は事件現場に現れ、犯人逮捕に大いに尽力し、その際自身の刺青である桜吹雪を披露します。場面が変わって、お白洲(裁判)において、裁判官としての奉行が現れます。しらを切る犯人に名台詞とともに桜吹雪を見せると「お前はあの時の、、、!」と恐れ入るわけです。動かぬ証拠というよりは動く証人です。
 遠山景元(通称金四郎)は、実在人物です。もちろん、水戸黄門や大岡越前と同じくドラマ、小説のモデルとしてのもので、実際に刺青があったかどうかも定かではありません。複雑な家庭環境から若い頃は家出をしていたようで、遊び人のイメージがあったのでしょう。さらに町奉行としては、町人のためという立場を取り続けており、ヒーローとしての「金さん」像にマッチしていた人物と言えます。ただ、現在桜吹雪が証拠として採用されるかどうかは微妙で、犯人が「あんたなんか知らない」と言えば、裁判は長期化しそうです。
 証拠と言えば、この3年程で有名になったエビデンス(evidence)という言葉があります。証拠とか根拠という意味ですが、私たち医師には昔からなじみの言葉です。EBMという言葉があり、根拠に基づいた医療(Evidence-Based Medicine)という意味です。ではどういうものがエビデンスになるのかと言えば、「名医の経験」などという客観的な評価のできないものではなく、研究(論文)です。それも質の高い論文がたくさんあるほど、エビデンスとして強いものになります。質の高い論文は、当然質の高い医学雑誌に掲載されることになります。質の高い医学雑誌とは、高い点数を付けられている雑誌です(この点数をインパクトファクターと言います)。この点数は、残念ながら、日本人のために書かれた日本語の論文にはつきません。だからインパクトファクターがつく雑誌に載せようとしたら、必ず英語で書かなければなりません。
 佐々木倫子さんの漫画「動物のお医者さん」で登場人物である大学院生だった菱沼さんは、締め切りのある論文を書くのに、英語で苦労します。英語が母国語である人が英語の論文を書くのは簡単なのに、日本人である自分がなぜ英語で書かなければならないのかと。その挙句の提案(ぼやき)として「欧米人は日本語で書くこと。その際、難しいとされる丁寧語と尊敬語を入れること」と発言するわけです。英語の苦手な私としても、全く同じ気持ちです。流行語となってしまったエビデンスですが、現在、未知の感染症と戦ってくれている人に対して「エビデンスがあるのか」と詰め寄るのは、そんなものがあるわけはないので、止めた方が良いのではないかと思います。

整形外科 中尾慎一