堀口コラム 閑話

2021年10月12日 更新

「痛み」について

 みなさんが整形外科へ行こうと思う時は、どんなことがきっかけになるでしょうか。おそらく背骨や四肢のどこかに「痛み」があることが多いのではないでしょうか。誰にとっても「痛み」は嫌なものですが、一方で「痛み」は体の異常を知らせるメッセージとしての役割を担い、体を守るために必要な警告信号なのです。例えば手足をケガした時に「痛み」がなくて適切な治療を受けずにいると、患部はどんどん悪化していくかもしれません。「痛み」は感覚の一つであり、ほとんど全てに不快や嫌悪、不安などの感情の変化(情動)を伴います。感情の変化は「痛み」の一部と考えられていますが、この不快な情動が病院へ行くなどの「痛み」回避行動を起こさせるのです。
 ところで、イヌやネコに「痛み」はあるのでしょうか。イヌやネコは「痛い」とは言いませんが、手足を引っ込める、あるいは怪我した脚を挙げて歩くなどの行動から「痛み」を感じていることが分かります。ではアリやゾウリムシはどうでしょうか。感覚としての「痛み」は目に見えないので、下等な生物が「痛み」として感じているかは不明です。
 「痛み」の定義はとても難しいのですが、言葉を話すヒトにおいては、「本人が痛いと言えばそれが「痛み」である。」という分かり易い(?)定義があります。では、私たちは他人の「痛み」をどこまで共有できるのでしょうか。自分の「痛み」は自分だけが感じるものであり、本人でないと実際分かりにくい。20世紀の偉大な哲学者は、私たちが知ることができるのは自分の「痛み」だけであると断言しています。他人の「痛み」の理解には観察が大きく作用するので、「痛み」は他の人とは共有できない主観的な意識であると述べています。
 ほとんどの患者が「痛み」を訴える整形外科において、他人の痛みを共有できない状態で良い治療ができるのでしょうか。厄介なことに痛みは画像検査で視覚的にとらえることができず、血液検査でその程度を数値で見ることもできません。医師は言葉を使い、様々な診察手段を用いて「痛み」を測り、共有する努力をします。そして、医師は患者さんの「痛み」を否定せず、その「痛み」を真摯に受けとめて治療に当たります。「痛み」の治療はまさにチーム医療の極致であり、患者さんと医療者側が密に協力し合うことで良い結果が得られるものと信じています。

院長 百名克文