堀口コラム 閑話

2022年5月2日 更新

痛みは気から?

 「往生しまっせ」とは、大木こだま先生のお言葉(?)ですが、「往生」とはそもそもどういう意味なのでしょうか。漫才で使われているのは「困り果てること」の意味でしょう。他にも「死ぬこと」の意味があると答えてくれる人もいるでしょうし、詳しい人なら、「浄土に生まれ変わること」と話してくれる人もいることでしょう。浄土とは仏や菩薩が住む清浄な国のことです。浄土は複数存在していますが、有名なのは阿弥陀如来の西方極楽浄土でしょう。阿弥陀如来は、人(「どのような」を話すと宗派論になってしまうので、あえて範囲は限定していません。これは深い話です。)を自分の極楽浄土に往生させるという誓いを立てています(本願)。そして浄土に生まれ変わった「人」は成仏(仏に成る)するわけです。
 「立往生」という言葉があります。現代の意味は、「身動きのとれない状態になること」ですが、本来の意味は立ったまま死ぬことです。義経の終焉の地である平泉で、泰衡の兵に義経が攻められた際、弁慶が体に無数の矢を受けながら、盾となって、立ったまま死ぬ(立往生)わけですが、その激痛に耐えた精神力は、想像を絶します。あるいは、それほどの激痛であっても痛みを感じにくい極限の精神状態であったのかもしれません。運動選手が試合中にケガをして、試合中は何とかプレーできたが、試合が終わってから痛みが強くなるということは、自身でも経験されている方が多いのではないでしょうか。運動選手にかかわらず、精神状態と痛みは関係があります。もちろん痛みが弱くなるような精神状態もあれば、逆に痛みが強くなるような精神状態もあります。
 福島県立医科大学の研究では、非特異的腰痛(特に原因のはっきりしない腰痛)の中の1/3ほどは、精神的なストレスやうつ、不安といった心理社会的要因によるものだとされています。そのため福島では「整形外科患者における精神医学的問題を知るための簡易問診票」を独自に作成して、診療に役立てています。日本整形外科学会でも「腰痛評価質問票」の中には、心理的障害を判定する項目もあります。思考によっても、痛みが増悪することがあり、関西医科大学心療内科の水野先生の2010年の論文では、「痛みの感覚に注意が集中して、痛みを重大なものとしてとらえる方向に大きく傾いた状態から戻れなくなり、気にすればするほど大きくなり、もはや自分の力だけではもとに戻せなくなる(中略)」ことを破局化(一般的には破局的思考)と表現されております。
 精神の状態、思考方法まで痛みに関係するのだとしたら、どうすれば良いのでしょうか? もちろん対策はあります。うつや不安なら薬はありますし、ストレスを軽減させるような生活指導をおこなったり、認知行動療法といって、臨床心理士(心理療法士や心理カウンセラーではありません)が行う、考え方を変えてもらうという治療もあります。痛みへのアプローチって本当にたくさんあるのだなと感じます。

整形外科 中尾慎一